No 506 鶴市

伝統中国春蘭
02 /04 2014
鶴市
最近オークションで見かけます。かなり前に東洋蘭紀行で取り上げましたが、少し訂正を加え再度載せました。
 
 
 蘭蕙小史によると
民国四(1915)年蘇州の蘭培養所で選出。三弁大頭、細収(弁先が大きく弁元に向かい細く引き締まる)、分頭連背捧心、硬如意舌。畢耐庵愛倍。とあり白黒写真一枚が残されています。
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www.18888.comでは
1933年日本へ伝わりのち中国内では絶種、1993年里帰りしたとあり、写真が紹介されています。
また易蘭網では右側の写真が紹介されています。
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百度百科や春蘭譜では外三弁短円緊辺、弁質厚く、半硬蚕蛾捧心、大円舌と説明してあり、日本からもたらされた蘭およびその写真説明をもとに修正を加えたものと思われます。

牟安祥氏はその著「蘭蕙小史補遺」で次のように述べています。
 梅弁“鶴市”は 《蘭蕙小史》によると;民国4年(1914年)蘇州の養蘭場にて選出。三弁大頭細収、分頭連背捧心、硬如意舌。後に畢耐庵が愛培とあり、白黒写真が一枚残っている。
 《蘭蕙小史》には“鶴市”の葉の特徴についての記述がない。しかし花の特徴は述べてあり、残された写真とあわせてみるとこの花の印象は大体次のとおりだろう。
 三弁円頭、収根細、辺緊、抱え咲き、副弁の中央線は水平、弁はやや飛肩。捧心分頭連背、先端は厚く硬い。如意舌でまっすぐ伸び垂れない。先端は尖り上へ挙がる。
 印象的には《蘭花譜》の記載によく似ている。「三弁円頭広大収根。軟兜捧心。連背合頭、硬如意舌。」

 また《乃安居芸蘭筆譚》、《韶興蘭文化》ともに、三弁円頭、細収根、分頭連背捧、硬如意舌としている。その他の書籍の解説も《蘭蕙 小史》と全く同じである。
《中国蘭芸三百問》と《江浙蘭蕙》等の蘭書籍では1933年日本に渡り、国内では絶種し、1993年少し里帰りしたとある。
 では里帰りしてきた“鶴市”はどうであろうか。《中国蘭芸三百問》の記載を見ると、“葉姿斜立、半垂れ、葉形と葉色は竜字によく似ているが、葉柄は竜字のように、引き締まり長くはならない。新芽は淡水紅色。花苞の色はまた竜字に似て 淡水紅色、先端は緑色をおび、紫紅の筋、 内苞衣は水粉緑色、紫紅の筋がはいる。
子房の苞衣は濃緑色。三弁短円,緊辺,一字肩,弁質厚,色は‘竜 字’のように淡翠緑色。 半硬蚕蛾捧、白頭ははっきりしない、大円舌で下垂し、淡い紅点が散る。花梗は低く10~12cm、、、、。

 《中国蘭芸三百問》の“鶴市”について、葉の特徴から見ると,《蘭蕙小史》にはその記載がないので比べることはできない。
“白頭がはっきりしない”あるいは“半硬蚕蛾 捧”は《蘭蕙小史》にある“捧心硬”と違いがあるのか,についてはよく分からない。
《蘭蕙小史》には白頭といった類の記載はないが、その写真を見ると、このような分厚い捧端は白頭があるに違いない。
 最も分かりにくいのが“大円舌で垂れる”という部分で これが《蘭蕙小史》の“如意舌”と全く一致しないところである。
《江浙蘭蕙》では“分頭合背,唇弁を 《蘭蕙小史》の如意舌とみている。そして一枚のカラー写真を残している。
このカラー写真を見ると《中国蘭芸三百問》の、”大きな舌は丸く先端は後ろに巻いている。”によく似ている。舌はさほど大きくはないが、先端が後ろへ巻いている。
これは先端が尖り、後ろへ巻かない如意舌に合致せず、それにうかんむり肩の嫌いがある。
《蘭蕙宝鑑》の“鶴市”の記載と《江浙蘭蘭》はほぼ同じで、陳海蛟氏が提供した一枚のカラー写真があり、これは《蘭蕙小史新版》にも用いられている。
この写真を見ると副弁は一文字を呈し丸い弁頭はやや下がり、半硬捧、連背かどうかははっきりしない。如意舌とあるが舌端が垂れているように見える。
しかし後ろに巻いてはいない。
 もちろん《蘭蕙小史》に述べてある“鶴市”は記述が簡単すぎ、写真も白黒で、これが初花かあるいは固定したものかはっきりとはいえない。
このためこういった比較はどうしても机上の空論とならざるを得ない。
 このような古い品種については総合的な資料館を建設することが必要であり、これは蘭人たちの切実なる願いでもある。
 “鶴市”というこの名前の由来は,多分蘇州の岳王鎮(即ち太倉)と関係があると思われる。岳王鎮は古い町で,明の成化年間(1476年)、人王俊が建設した楊林新市で、集落を形成し,その形が鶴のようだったので鶴市、鶴王市と名づけられ,500余年の歴史がある。民国元年(1912年)、州県が合併し、太倉県となり、岳王郷と改称された。後に民国18年再び岳王鎮と改められた。“鶴 市”は岳王鎮(太倉)の古い地名のひとつで、この名に由来する可能性が大きい。 

 以上のことを参考に、原点である蘭蕙小史の花と現在の花が余りに違いすぎることから結論として、呉恩元氏が蘭蕙小史で紹介した鶴市はすでに絶種し、日本で鶴市として流通していた別の蘭が戦後中国に里帰りし、混乱を生じたのではと思われます。全くの私見ですが。。

 本物はまだ生き延びているのかそれとも蘭蕙小史の写真の花が安定したものでなく現在鶴市といわれる花に変貌してしまったのか。。

 現在鶴市として紹介される写真はたくさんあるが、いずれも天興梅や小打梅、桂円梅などのものではと思いますがどうでしょう。(百度で鶴市 図片で検索)

コメント

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No title

蘭華譜では現在と同じような「桂円梅型」の写真が載っていますね。但し説明は蘭蕙小史を踏襲しているようです。咲き方が変わったのか、品種の取り違えがあったのか、謎は残りますが今日流通している鶴市を桂円梅と見分けるのはなかなか困難です。

No title

カラー写真の左は誠文堂新光社《中国ラン》の、右は横山進一氏の《東洋蘭之美》に載っている写真ですね。

私は現在出回ってる「鶴市」と桂円梅は同じだと思っています。
「天興梅」で入手したものがやけに葉の緑が濃いなと思ってたら咲いたら桂円梅だったことがありますが、天興梅や小打梅が「鶴市」になってることもあるんですか!?

No title

suzuki 様、
「今日流通している鶴市を桂円梅と見分けるのはなかなか困難です。」
ということは鶴市ではないということですかね。花弁、捧心、舌どれをとっても両者は全く似ていませんからね。そちらにはまだ真品をお持ちの方おられるのでしょうか?

No title

lan mi様、
私は日本で出版された中国春蘭に関する書籍は全く持っていません。いろいろありがとうございます。
また蘭蕙小史も蘭華譜もありませんので百度で検索してみる程度です。幸い中国には熱心な老種ファンがたくさんのサイトを立ち上げていますので勝手にお世話になっております。lan mi様もお名前から推察するに中国語通でいらっしゃるようですから百度で検索されてはいかがでしょうか。
7,8年前に東洋蘭紀行で老種について私なりに調べたページがまだ残っていますからご覧ください。少しでも参考になれば幸いです。
http://nooyan.fc2web.com/saikinnoran.htm
年代も近く選出地も同じ蘇州である梁溪梅もあわせてご覧頂けるとよろしいかと。。天興梅についてはまた調べてみたいと思っております。

なにせだいぶ前のことたくさんの誤植、間違いもあろうかと思いますが。。

追記

lan mi様、
私は田舎に住んでおりますので中国春蘭を見る機会が全くと言っていいほどありません。また日本の愛蘭家の中国春蘭に関するサイトもほとんど見ませんので、日本での中国春蘭の状況は分かりません。よって記事の内容はほとんどが中国国内でのことです。